東京高等裁判所 昭和29年(う)829号 判決
被告人 市川勲
〔抄 録〕
論旨中事実誤認(一乃至三)の点について。
原判決引用の証拠によれば、原判示の如く、被告人は昭和二八年四月一九日施行衆議院議員選挙の長野県第二区立候補者松平忠久の選挙運動者であつたところ、同じくその運動者吉沢善教外二名から右候補者のため投票並びに投票取纏方を依頼されてこれを承諾し、その報酬並びに運動資金として金千円の供与をうけた事実を十分認めることができるのである。
なる程所論長野県選挙管理委員会に対する収支報告書(昭和二八年六月六日附)謄本中には本件金千円は実費若しくは労務賃であるが如くに記載されているけれども、元来選挙運動において現行公職選挙法の範囲内で労務賃と称する報酬の受領できる者は選挙運動に使用される単純な労務者(選挙運動者の手足となりその命ぜられるままに機械的に行動し、自己の判断でその候補者の当選或は落選に影響のあるような行動はとらない者と解する。)に限るのである。たとえ肉体的の労務に服しても(例えばポスターを貼付するようなこと)それが選挙運動者が自から運動者の立場においてしたのであれば、実費の弁償をうけるのは格別、労務賃と称する報酬を授受すれば、これは公職選挙法第二二一条第一項第一号、第四号違反となるものと解せられる。このように解しなければ、公職選挙法第二二一条第一項第一号、第四号の規定は何等意味のないものとなるのである。ところで、本件記録によれば、被告人は本件選挙運動において松平候補者の選挙運動者ではあつたが、単なる労務者として行動したことは全くなかつた者であることがまことに明瞭で、所謂労務賃は受領し得ないものであつたのであるから、たとえ本件金千円が労務賃なりとして正式に届出られてもこれによつて適法化されるものではない。又実費であるとすれば何時、如何なる費用に使用されたものであるかその内容内訳は本件記録によつては全く知る由ないものである。
これによつて考えれば、右報告書の右記載は本件違反発覚後に事態を糊塗する為に殊更記載されたか或は法に通じない為に選挙運動者に対しても労務賃を支払う事ができるか若しくはこの労務賃迄も実費と解したが為の記載と認められ、これによつては本件金千円が所論の如く実費或は労務賃であると認めて原審認定を覆すには足りない。(所論自体が実費と労務賃とを混同しているかのようである。即ち所論前半では実費の概算前渡である旨主張し乍ら後半では被告人自身の労務賃に充当したかの如くになつている。)
なお原審が取り調べたその他の証拠に現われた事実のうち所論事実に符合して、原審認定に反するものは、原判決挙示の証拠に照せば、到底信用するに足らないものである。その他本件記録を検討しても原審認定に誤があるものとは疑われず、原審認定には事実の誤認は認められない。論旨は理由がない。